wonder wonderful
29.




「初めてお父様に呼ばれて、お城にあがることを告げられた日はもう眠れなかった。あの方にお会いできるんだと思って、嬉しくて嬉しくてたまらなかったの。姉様は私のことをとっても心配して下さって、何度もお手紙をくれたわ。今でも全部とってあるの。あんまり心配して下さるから、私、姉様とアシュリー様がとても好きだから大丈夫よってお伝えしたの。大好きな人たちと一緒にまた同じ場所で暮らすことができるなんて夢のようって。お城での暮らしは毎日、毎日、本当に楽しかった。アシュリー様は私が想像した通り、とてもお優しくて男らしい方だったわ」
 ユーリアは、とめどなく喋る。ダグレイは無駄口を一切聞かずひたすら給仕に徹し、ディレイもまた一言も口を聞かない。小奇麗に整えられた庭にユーリアの高い、明るい声が響いて、城の白い壁に反射してこだまし、私は光の中で落ち着かない気分になる。
 彼女の世界に連れ去られようとするみたいに。
 ユーリアの中で、シェリアとアシュリーは同等の愛情でもって同居している。なんの違和感もなく。そんな関係が存在するのだろうか。
 だとすれば、ユーリアの裏切りに傷ついたシェリアはなんだったんだろう。例えば今ここにいるユーリアの感情が本物だったとして、シェリアこそが悩み傷ついていたと考えるのが妥当なんだろうか。
「そうして、すぐにディレイを授かったの。ああ、なんて幸せだったのかしら。姉様もアシュリー様も自分の事のように喜んで下さったのよ」
 シェリアもユーリアと同じくらいアシュリーのことを想っていたとしたら?
 妹が同じ夫に嫁いでくることを、心から喜んだりできただろうか。喜ぶように見せかけて、その実、嫉妬に苦しんでいたとしたら? そうすると、私がイルサムさんに聞いていた話とはまた随分印象が変わってくる。
(分からない)
「姉様はディレイの方がアシュリー様に似ているって、いつも言って下さったわ」
「え?」
「だからね、姉様はザキとディレイを比べた時に、いつもアシュリー様に似ているのはディレイの方ねって言って下さったの。私もずっとそう思っていたけど、姉様がそう言ってくださるのが一番嬉しかった」
「……兄上の方が似てるよ、父上に」
 突然沈黙していたディレイが割り込んだので、私は少し驚いて彼を見た。パンをちぎって口に放り込みながら、彼の視線は手元のそれにだけ集中している。
「あら、ディレイ。そんなことは全然ないわよ」
「あの人はいつも、俺のことをよく言い過ぎていた」
「そんなことはないわ。だってあなたはとっても可愛かったんですもの。姉様だってあなたのことが大好きだったわ。ザキなんかよりずっとよ」
 ちらりとディレイはユーリアを見、それからわずかに私を見て、口を閉じた。
 ……なんか、変だよね。
「優しい、お姉さんだったんですね」
 奇妙な間に耐えられずにそんなことを口走ると、ユーリアの顔は輝く。
「ええ。そうなの!」
 昨日、ユーリアに出会った時彼女は言ったはずだ。姉妹と言えど別々の人間なのだから、優しくすることなど無意味だと。それじゃあ、今の彼女はなんなのだろう。どっちが本物なのか分からない。
 なんだか、眩暈がしそうだ。
「まともに考えるな。やられるぞ」
 がつん、と机の下で足を蹴られ、ディレイが囁いたのはその時だった。
 顔をあげるとディレイは素知らぬ顔で食事を続けている。
(ハマるところだった)
 なにか分からない、得体の知れない場所に深く引きずり込まれるような感覚に、真昼の光の下で小さく身震いした。
 ユーリアはまだ何事か喋っていたけれど、私はおとなしくディレイの言葉に従って、話を聞き流すことにした。そうして、その間中、ディレイを盗み見ていたのだ。


××××××


「お前、まともに相手しすぎ。体力全部持ってかれるぞ」
「うん、よく分かった」
 長いお昼が終わると、ユーリアはすっかり疲れてしまったようだった。まるで子どもみたいに喋りつかれてぐったりとし、ダグレイに抱きかかえられて部屋に戻ってしまった。
「お前が来て、なんか興奮してるんだろ。明け方まで起きといて、あんなに早く起きてくること自体まずないからな」
 あ、そう。本当に、それただの子どもじゃん。
 げっそりとしてしまった私を見て、ディレイはあからさまに馬鹿だなという顔をした。
「ね、今の内にここ抜け出せないの? ユーリアも、ダグレイもいないじゃん」
 一応部屋に帰りながら、後ろに誰もついてこないことを確認して小声でディレイに訊くとにべもなく却下された。
「そんなことできるなら、昨日の内にしてる。ダグレイ舐めんな」
 いや、舐めてないけど。
「もう少し様子見てみるから、待ってろって。どうもあの人の感情の波が今回でかすぎる。何がしたいのか、はっきり見えない」
「……そういうの、あるんだ?」
「お前も途中で気付いたろ。昨日のあの人と、さっきのあの人じゃ言ってることが違い過ぎる。どっちも同じ人間なんだぜ。昨日の母上はここ数年の記憶を持ってる。今日の母上はまだ殆ど二十代だ」
 どっちにしろ、飛んでることに変わりはないけどな。
 付き合わせて悪いなとディレイが言うから、私は黙った。こういうこと言われると、やりにくい。
「あのさ、なんか、外散歩とかできない? 海辺降りたい」
「逃げなきゃできる。行くか?」
「うん」
 アシュリーの顔でいっぱいの廊下に入るとどうしても気分が悪くなるような気がして提案すると、案外すんなりとディレイは承諾した。
 ダグレイ舐めんな、というディレイの言葉の意味はすぐに分かった。
 姿が見えないだけで、常に私たちは監視状態にある。お城の裏手から海岸に直接降りることのできる階段があって、そこを降りていたら当然のように後から人がついてきた。見るからに軍人のようで、弓を持ってるから逃げようとしたら射られるのかもしれない。昨日の夜、なんの迷いもなくダグレイの命令通りにひなたたちに射掛けたことを思い出して、ぞっとする。
 砂浜は、白かった。
 目が焼けそうだ。日焼け止めもないのに、と砂浜に降りてしまってから気付いたけどもう仕方がない。
「この辺、ここしか建物ないんだね」
「ああ。ここらの土地は代々うちのものだから」
 じゃ、ここディレイん家のプライベートビーチ? 金持ちってやだねー。この景色独り占めか!
 さくさくと砂を踏みしめながら、波打ち際ぎりぎりを裸足になって歩く。海は冷たくて、気持ちが良い。ディレイが少しだけ遅れてついてくる。
「あのさディレイ、私ずっと訊きたい事があってね」
「なに?」
「最後にお城で会った時、言ってたでしょ? ”ヒナタには借りがある”って。それってなに? どうして私に城から出て行けって言ったの?」
 彼が昨日今日と、とにかく私を助けてくれていることを考えていった時に、思い出した。
 図書館で会ったとき、ディレイは確かにそう言った。これは、そのことと関係しているのだろうか。
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「言った。なんか、意味深なこといっぱい言って、出て行けよって去って行った」
 わざと不満そうな声で言ってみると、ディレイの笑い声が風に乗って後ろから届いた。
 振り返ると、立ち止まってこっちを見ている。その顔が、どうしようかなと言っているのが分かった。
「怒らないから」
 今までの経験を踏まえて、言ってみる。
 彼は一瞬目をぱちくりとさせて、本当かよ、と小さく笑った。こういう顔するから、なんか素直そうって思っちゃうんだよな。
 ディレイはゆっくりと近付いてきた。
「普通さ、城に親類縁者訪ねて来る人間って、なにかしら甘い汁吸うつもりなんだよ。で、最初はお前がどっち側の人間かよく分かんなくて」
 ……基本的にそういう思考回路なんだね、あそこって。
「それにお前が来てから明らかに兄上おかしくなったしな。また五年前に逆戻りされても困るし。早く出てってもらおうと思って」
「……ザキくんのため?」
 五年前って、その、ザキくんが喪に服してた期間のこと言ってるんだろうか。
 やっぱりディレイって特にザキくんを恨んでるとかそういう雰囲気じゃないような気がするんだけど。むしろ……結構好意的じゃない? んー? どっちなんだ?
 なんだかよく分からないなあと思い始めた私に、ディレイはけろりと言い放った。
「ううん、俺のため。だって別に俺国王なりたくないもん」
「あ、そうなんだ。……ええ!? そうなの!?」
 それ新展開なんだけど! 私の中で新展開なんだけど!
 仰天して叫んだ私を、ディレイはうるさそうに眺めた。
「あんな面倒なもん、誰が好き好んでなりたいかよ。生まれてこの方母上はずーっと俺に王位をって言い続けてるけど、俺、自分がなりたいって言ったこと一度もないぜ。実際兄上の方が向いてるし」
「マジで? うわ、それ……意外な展開きちゃったな……」
 お家騒動なんて、もう、親同士子供同士とにもかくにも憎しみ合っていがみ合ってるものかとばかり思ってた。ディレイの最初の印象とかも、勝手にザキくんとは仲悪そうって思ってたもんな。まあ確かに昨日からの一連の様子を見てて、なんか違うとは感じていたけど。
「兄上があの時みたいになったらまた城中めちゃくちゃになるし、俺ンとこにお鉢が回ってくるのも鬱陶しいし、お前だってあの城ん中でろくな待遇受けてなかったわけだし、あのままお前が城に居続けても、他の貴族連中に利用されたりしそうだったし、全部考えていったらお前が出て行くと色々解決するはずだったんだよな」
「……はあ」
 どうしてこう、お城に住む連中って自分本位なんだろう。
「で、お前見てたら特にヒナタにたかる気もなさそうだってのは分かったんだけど、どっちにしろあのまま放っといたら壊れそうだなと思って。部屋から見てたら、毎日バルコニー出てぼーっとしてるし。おかしくなりかけてんのかと思って見に行ったんだ。お前おかしくなったら、流石にヒナタが泣くだろ?」
「部屋って……分かった! あんた北の塔から見てたんだ!?」
 あれか……! つか、どんな視力だよ。めっちゃ離れてない? あれ。
「と言うより! あんな物言いで私が出て行くと思ってたの?」
「え?」
「むちゃくちゃ謎だらけで、ディレイ物凄い敵っぽかったじゃん。ヨーサム苛めたりしてさ」
「……敵っぽい方が良くない?」
「は?」
「だって、あの時俺が出てくとややこしくなるから、基本的にお前と関わる気なかったし。お前が出てったらどうせヒナタが動く。中途半端に味方面するの面倒だし。どっちにしろ、城の連中がお前を苛める理由が分かれば壊れるとこまではいかないだろうと思って」
「はあ!? それってすごい不親切! 普通に教えてくれればいいじゃん! 壊れなきゃいいだろうって、なにそれ」
「ばあっか。親切だよ。味方面して途中で逃げる奴が一番不親切なんだよ! 頭悪いなお前」
 がつ、と足を蹴ってやると、ディレイは怒らないって言っただろ! とわめいた。うるさい。怒るわ!
「で、今は逃げないことにしたの? 昨日からかなり味方面じゃん」
 味方面、に力を込めて言ってやると、ディレイは眉間に皺を寄せた。蹴り返してくるかと思ったけど、どうやら止める事にしたらしい。私から視線を逸らして、海の方へ向いた。
「……五年前にさ、俺の母上、シェリア様が死んだって聞いて死にかけたんだ。で、ヒナタがたまたま母上を助けてくれてさ」
「うん……え? なに?」
 なんかあんたまたさらっと、すごいこと言わなかった?
「母上無罪になったのも、直接確かめてないけどヒナタが何か動いたんじゃないかとは思う」
 びっくりして目を見開いた私に、ディレイは分かった? と言い聞かせるように首を傾げた。
「だから、“ヒナタには借りがある”」
 あんな人でも、俺の母親だからな。
 最後の呟きは殆ど溜息に近くて、波の音に紛れてしまいそうだった。
「ちゃんとヒナタの所へ帰すから、信用しろ」
「……ごめん」
「なにが」
「なんとなく」
 味方面、とか言っちゃってさ。そう思っていたけれど、ディレイがそんなことを気にしているようには見えなかったから言わなかった。
 と言うより、こんなところで、そんな風に味方を得るとは思わなかった。
(ひなた……ありがとう)
 空に向かって思わず手を合わせてしまう。ああ、早く帰んなきゃ。絶対ものすごい心配してるよ。
「ねえ、ヒナタがこっちに来たときの話なんか聞かせてよ」
 どこかしんみりしてしまった空気を捨て去りたくて、海を眺めているディレイに言ってみた。
 はあ? と面倒臭そうな顔をした後、けれどすぐにディレイは意地の悪い顔をして見せた。
「あいつさ、一番最初こっち来た時、牢屋ぶちこまれてすんごい泣いてた」
「はああ!? なにそれ! 聞いてない!!!」
「だって。国中めちゃくちゃ大変で、ザカリアとかからも密偵アホみたいに入ってる時期に、いきなり城の庭に現れたんだぜ? めちゃくちゃ怪しいっつの。兄上が見つけたから、まだそれでも早く引き出されたけど」
「ちょ、ちょっとその時の話もっと詳しく聞かせてよ!」
「もう終わった話じゃん」
「じゃあ、するなー!!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、ディレイの瞳から陰が消えて少しだけほっとしていた。
 彼は、ユーリアを大事にしている。
 けれど、厭っているものもある。
 その表情の変化は、彼の内面の複雑さを示すようで、落ち着かなかった。











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